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CindⅢ site

うつ病ADHDフリーライターのクズがクズに寄り添い生きづらい世の中をなんとか生き抜いていくためのブログ

神木隆之介くんがとても尊くてつらい

オピニオンもどき

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俳優の神木隆之介が尊くてつらい。

彼はわたしより2学年ぶん遅く生まれた若手俳優だ。1993年5月19日生まれの22歳。幼い頃に病気をし、母親が生きた証を残そうと芸能界に入れた。天才子役として有名になった。
神木隆之介は声変わりの時期を乗り越え、子役の顔面が揃って崩れる時期も乗り越え、現在もトップ級の若手俳優として活躍している。
 
Wikipediaを見れば分かるような来歴をわざわざ個人ブログで語るつもりはない。
わたしが伝えたいのは、いかに、神木隆之介が尊いのかということだ。
 

 

目次

 

前提: 神木隆之介について悩めることは幸せなこと

予め言っておく。
わたしが一番好きな俳優は誰かと聞かれて答えるのは神木隆之介ではない。
好きな男性のタイプは芸能人で言うと誰?と聞かれて答えるのも神木隆之介ではない。
舞台挨拶に行こうと試みたり、雑誌や新聞を彼目当てで買ったこともない。
つまり熱烈なファンではないのだ。もちろん知り合いなわけでもない。
 
ずっとずっと画面を隔てて、たまにわたしのほうから目を向けるだけだった。たったそれだけなのに、どうしてこんなにも尊いんだろうか。わたしは1年のうちに何回か、恋患いともまた違うこの悩みに頭を抱えなければならない。
 
しかし、悩めるということは画面の向こう側に彼が存在するということでもある。
だからそれすらも有難いのだ。幸せなのだ。
 

神木隆之介という地位; 歴史を積み重ね、常に己の頂点に立ち続ける

神木隆之介はずっと画面の中にいた。
子役時代から思春期を超え、成人してからも、常に神木隆之介はトップクラスの俳優として数々の作品に出演し、メディアに露出し、彼自身のピークを更新し続けている。
ただの天才子役ではなく、ただの若手俳優でもなく、神木隆之介という確固たる地位を築いてしまったのだ。
 
彼の評価は点ではなく、積み上げてきた歴史だ。歴史で評価される。過去の輝かしい経歴、少し前の移ろいゆく魅力、そして地に足を着けた現在。ピークを内包したピークは永久に更新され続け、未来への希望と、現在が素晴らしすぎるが故の不安を抱かせる。
その気持ちが混在するわたしたちのもとに、神木隆之介は間違いなくピークを更新して現れる。不安を払拭し、希望を現実にする。それができるのは、近くて遠いところに神木隆之介がいるからなのだ。
 
世の中には積み上げてきた歴史を削いでしまうものがある。犯罪歴や、わるいスキャンダルなど。神木隆之介は運良くこれまで何のそれらもなく生きてきた(志田未来とのフライデーはむしろ高評価でしかない)。
もしかすると事務所が囲っているのかもしれない。お金や何かで揉み消された都合のわるいことがあるのかもしれない。いま彼はもしかするととても苦しいのかもしれない。
だとしても、現在表に出ている「何もなさ」は、彼の歴史をそのまま評価へ結びつけさせることに大いに寄与しているはずだ。
 
神木隆之介は、常に彼の頂点にいる。
 

神木隆之介の獲得力が尊さの肝となる

もともと高い能力を持っていた。そしてそこから後退することなく、わたしたちが可愛らしい子役に対して感じる清純さ・利口さ・可愛らしさ・いじらしさをそのままに、大人の色っぽさ・強さ・男性らしさ・凛々しさ・儚さ・表現力などを獲得し続けた。それが神木隆之介だ。
神木隆之介のMaster's Cafe 達人たちの夢の叶えかた

神木隆之介のMaster's Cafe 達人たちの夢の叶えかた

 

わたしたち人間の祖先はひとつの細胞だったという。

細胞が何らかの要素を獲得し、ある者は生き残りある者は淘汰され、進化を繰り返していった結果がここにある。
神木隆之介が能力を獲得していく様子は、まるでたった1人でこの長い長い歳月を再現しているかのようだ。
 
何かを得れば、何かを失う。それは悪いことではない。例えば山田孝之はカメレオンのように自らの風貌や雰囲気を変えるし、柳楽優弥は体型が変わると別人のようになる。ところが神木隆之介はどんな悪役を演じてもどこか神木隆之介だ。役に山田孝之が入り込むというならば、神木隆之介については、ひとつの神木隆之介という歴史に新しい要素が付加されると言うほうが近いように感じる。
俳優としては、人間としての存在感を抹消できるような、極端な変化ができるほうが優れているのかもしれない。
しかしわたしは、神木隆之介がいかに優れた俳優なのかという話ではなく、いかに尊いのかという話をしているのだ。
 
神木隆之介は得続け、後戻りや足踏みをしない。劣化した、という人は、きっと彼を歴史ではなく点と点を見て要素を比較しているだけで、本来とるべき(だとわたしが勝手に考えている)神木隆之介の評価手法とは異なった見方をしている。
成人して2年、もうすぐ3年だが、そうやって落ち着いたように見える現在でも神木隆之介は着実に「良さ」を身につけ続けている。何年後かに振り返ってみれば、それがきっと分かるはずだ。
 
こうして多種多様、そして多量の「良さ」が神木隆之介の中に蓄積され、彼の身長167cmの華奢な身体に凝縮される。彼はそれを惜しげもなく画面の向こうへ放出する。懐っこい笑顔で。真剣な目で。低くなった声で。今にも消えてしまいそうな瞬きで。
受け手の表現力のキャパシティを神木隆之介は軽々と超える。
自らの語彙の限界に挑み続けたにもかかわらず敗北を喫した人々は、脳みそを空っぽにして、口をぽかんと開けて、つぶやくのだ。
 
美しい、と。
 
尊い、と。
 

こんなにも尊い神木隆之介には、向こう側にいてほしい

彗星のようにわたしたちの中を駆け巡った神木隆之介は、苦しみに似た余韻を少し残して去っていく。
わたしたちは何らかの手段(このブログもそうであるし、Twitterのトレンドを占めるのもそういうことだ)で残滓を吐き出し、少し時間が経つと何事もなかったように元の生活に戻る。
 
わたしが何か彼に望むのならば、わたしの向こう側にいてほしい、この1点を推したい。
日々更新されていく分厚い百科事典の好きなページを開けばその時代の彼が見える。パタンと閉じたその裏表紙の中に、いまの神木隆之介にいてほしい。
手なんか届かなくていいのだ。言葉なんて伝えられないでいいのだ。わたしなんかは人生を左右する存在になりたくない。俗人的な概念を神木隆之介の中に持ち込みたくない。
彼の支持者が減少し、彼が芸能界から消えてしまったとしても、それすら神木隆之介の儚さとして、あるいは最初で最後の人間臭さとして、魅力になって積み重ねられていくだけだ。
 
わたしはひとりの弱々しい神木隆之介ファンとして、彼を尊く思っている。
夜も眠れないくらいに、神木隆之介のことを尊く思っている。
 
(こんなブログを血眼になって書いていたら徹夜でサンリオピューロランドに行くことになった。同行者の某氏には心から謝罪したい)
 

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追記 18:40

ピューロランド楽しかったよ

f:id:cindIII:20160302184052p:image

 
Cyndi.

 

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