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CindⅢ site

うつ病ADHDフリーライターのクズがクズに寄り添い生きづらい世の中をなんとか生き抜いていくためのブログ

最後の休職日誌

休職日誌

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休職、117・118日目。そしてそのあと。

 
普段のメンヘラブログにもどりますよ。
 
12月24日。クリスマスイブ。
目が覚めなかった。
 
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正直この日のことは思い出したくもない。華やかな予定は入っていない。わたしは普通に会社に行けるならそれでよかった。まだ仕事をしてはいけないし、時短だけれど、復職プログラムの最終段階に乗れただけで本当に嬉しかった。
 
なのに目が覚めなかった。
 
うちの会社はブラックな部分もあったけど、まぁベンチャーだし良いか、というレベルで、決してブラック企業ではなかった。
何度も言うけど、わたしは自分で自分を追い詰めてしまっただけで、社長を含め上司はいつもわたしに「仕事熱心なのはいいけどちゃんと休みなさい」「うちは残業代が出せないんだから、残業しないで家に帰りなさい」と言ってくれていた。それで結果が出せなくても、上司はわたしを責めることはなかった。いつも自分を責めていたのは自分だった。
 
タイムリミットを超えたら即復職したかった。
経済的にもかなり切羽詰っていた。傷病手当金で月に10万円くらいはもらっていたけど、家賃で7割持っていかれるし、奨学金の返済は休職後に無条件で始まっていた。親にもらった有難いお金は崩さないといけなかった。精神科は自立支援医療と何かの制度を組み合わせて今はゼロ円だけど、他の医療費がかさみまくっていた。内科、婦人科、耳鼻科、整骨院、自立支援の範囲外の、カウンセリング。
どんなに財布や口座が圧迫されても、どうしても1人暮らしだけはやめたくなかった。「できる」人たちと共同生活を送るのは、発達障害グレーゾーンのわたしにとってあまりに重荷すぎた。鬱の全盛期でも、実家にいるより自宅にいる方がはるかにストレスも罪悪感も少なかった。1人暮らしを続けられるなら、治りかけた身体がまた壊れても全然よかった。
 
だからどうしても仕事納めまでの残り2日間、わたしはしっかり10時に出社しなきゃいけなかった。
なのにわたしは行けなかった。
 
目覚まし時計はもちろんかけた。
睡眠サイクルをとるアプリと、標準の時計アプリで、目覚ましをかけた。スヌーズもついている。
母にもモーニングコールを頼んでいた。8回不在着信があった。
わたしが起きたのは11時だった。
 
どうしても嘘がつけなかった。当時の日報は痛々しくて見ていられない。こんなに会社が好きで、戻りたくて、必要だったのに、体にとって多分それは無茶で、過剰な睡眠でそれを示してきた。情けなくってしょうがなかった。
 
泣いて過ごした。
こんな最低なクリスマスイブは初めてだった。
 
 
12月25日。仕事納め。
 
この日は10時に出社した。休憩1時間を挟んで、17時まで滞在した。実働(働いてないけど)6時間は、復職プログラムで設定された会社滞在時間のMAXだ。
 
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少しでも意欲をアピールしたくて、復職後使える分野の勉強をした。いま思えば、この会社にそんなチンケなアピールは全く効かないんだけど。やれることなら全部したかった。
いつも通り出社して、いつも通り退社した。昨日来れなかったことについて何か言ってくる人はひとりもいなかった。
 
会社を出たあと涙が止まらなかった。
 
本当は無理だって、このまま復職してもまた休んでしまう、続けられる訳がないってわかってたんだと思う。もう疲れた、もうだめだ、まだ無理しちゃいけないんだよっていう悲鳴だったんだと思う。
加えて、わたしを必要としてくれていた会社から突き放されるんじゃないかって不安と、経済的な負担と、1人暮らしを奪われるんじゃないかって恐怖で、頭の中がずっとグルグルしていた。
 
わたしのうつ病は、自分で思っている以上に重かったみたいだ。
 
悔しい。
 
 
そのまま年末に入った。疲れが出た。精神科の医師には無理言って復職可能の診断書を出してもらったけれど、それこそもう無理だって気付いていた。
 
わたしの勤続月数では失業なんたらは一切出ない。転職も考えたけど、大好きな今の会社でダメなら他の会社になんかとても行けないだろう。大体起き上がれないレベルのうつ病の人なんか、どこも雇ってくれないだろう。
どうしたらいいか分からなかった。
 
元うつ病患者の上司と、お互いオフレコでと言ってメッセージを送りあったりした。
これ以上こじらせないうちに辞めろ、ってことだった。当時のわたしには退職勧奨にしか思えなくて、パニックになった。でも本当にわたしのことを思ってくれてるのも分かった。
 
母とも話をした。
「仕事辞めてもいいんだよ、休んでいいよ」
「嫌だ、1人暮らし出来なくなるのが嫌だ」
「1人暮らしはしててもいいから」
 
これで、固まった。
時短等の措置をとってくれるよう交渉する。
無理なら辞める。
 
 
で、無理だったから辞めてきた。
今はフリーランスの人間として、1人暮らしを続けながら、会社からキャパオーバーなくらい仕事をもらって生きている。いまのところ仕事に困ることは全くない。会社は常に人手不足なのだ。
傷病手当金並み、約10万円の収入を目指して頑張っている。まだまだ仕事をこなせなくて、全然足りてないけれど。
 
うちの会社で休職者を出したのは、設立以降わたしが初めてだった。柔軟に対応してくれて、わたしの人生を応援し続けてくれている会社と、社長と、上司たちに、心から感謝している。
 
 
復職プログラムはなかなかしんどかった。でも1人でゆっくり過ごせる休職生活はすごくいいもので、鬱全盛期の夏に比べるとわたしはものすごく元気になった。
 
休職してよかった。できてよかった。
 
 
長々書いてきた休職日誌はこれでおしまい。
 
Facebookにリアルタイムで書いていた「親にも上司にも見せられる版・休職日誌」は、今から全部消す。
 
思い出よ、さようなら。
 
 
Cyndi.