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CindⅢ site

うつ病ADHDフリーライターのクズがクズに寄り添い生きづらい世の中をなんとか生き抜いていくためのブログ

ぜいたくな自分が恥ずかしい

休職日誌

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休職、103・104日目。

 
12月10日。
 
会社の復職プログラムを続けている。カフェ滞在の擬似出社は今日で3回目になる。タリーズ→スタバ ときたが、今回またタリーズに戻ってきた。
ところが、喉が腫れていて違和感があった。心なしか身体もだるいようだ。いつも体調不良はこじらせてから気付く(いわゆるADHDの自己モニタリング能力が低いというやつなのだろう)のだけど、体調と向き合ってきてかなり時間も経ってきたので、少しずつ分かるようになってきた。
これは、扁桃炎だ。こじらせればきっと熱が上がる。帰ろう。
わたしは2時間で擬似出社を切り上げ帰ることにした。擬似出社のコアタイムは10〜12時なのだ。
 
レジ前にクリスマスのくまさんぬいぐるみがたくさんあった。かわいい、ほしい、と思った。
 
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子供のころ、親に物を買ってと言えなかったのを思い出して、泣きそうになった。わたしの家は特に貧乏なわけではなかったし、虐待なんか受けてないし(むしろ親権争いで離婚が何年も延びた)、実際お金だって相当かけてもらったし、親にはすごく感謝してる。
親は悪くない。わたしが過剰に遠慮する子供だった。本当はほしいのに、一度断られて以降、これは買ってもらえるわけないからと、さらりと物欲を頭から消してしまえる子供だった。地べたに座って泣いて、買って買ってと喚く子供のことを同年代として心底恥ずかしいと思っていたし、弟が1度だけそういう行為をしたと母から言われた時は吐き気がした。姉が一切そういった行為をしないのに、弟はどこでそんな技を覚えてきたんだろうか。駄々こね成功例を見て作戦として使わない限り、何も知らないのにそんな恥ずかしい真似をゼロからできる訳がない、と、思っていた。
高校生になりアルバイトを始めると、途端にわたしは浪費家になった。働けばお金が口座に振り込まれ、モノが手に入る。楽しいことができる。便利グッズが買えて生活が楽になる。我慢しないで済む。親に物を買ってとか、これが必要だからお金ちょうだいとか、そういう恥ずかしいことを言わないで済む。バイトにやみつきになって高校1年目の後期はほとんど学校に行かなかった。
高校1年から大学3年の終わりまで、バイトをしていなかった時期は大学受験前の半年間だけだったが、常に貯蓄はほとんどなかった。大学4年生になってついにバイトができなくなると、今まで手をつけずにとっておいた奨学金を崩して崩して使いまくるようになった。
最初は就活で必要だからと言って物を買い、喫茶店に入り、外食をして帰る。後半は当時の彼氏とうまくいかなくなり、病みに病んで、お金を使うことでストレスを発散させようとした。ド派手な買い物をしたりはしなかったけれど、甘いお菓子を買って食べたり人と会ってオシャレなお店で夕飯を食べたりと、毎日大量のチリをつもらせていった。
厳しい家に育った箱入り娘が解放された瞬間、反動でクソビッチになったりする話はよく聞く。似たようなものだ。買い物依存症かと言えばそうなのかもしれない。
ほしいなと思った細かいものを買ってもらえなかった自分を、買ってもらえないのは買ってやるだけの価値がないからだと今でも本気で思って泣いている自分を、わたしは何か買って許してやることで癒している。
 
親は貯蓄と使いどころがうますぎた。
わたしを予備校に行かせてくれたし、私立大学(しかも理系)に4年間通わせてくれた。成人式の振袖だって、わたしが腕が長くて背が高いから、レンタル振袖にサイズがなくって、買うことになった。それも買ってくれた。
中学生以降くらいからは誕生日に5000円渡されて好きなものを買いなさいというカタログギフト(?)方式だったが、20歳の誕生日には「これで誕生日プレゼントは最後だから」と一生もののパールのネックレスをもらった。お金がなくて精神科に通えなくなったわたしに、メンヘラ薬の嫌いな母がお金をやると言ってきた(当時は診断名が何も付いていなかったため、自立支援の対象外だった)。お年玉はわたしが大学を卒業する直前まで続いた。元彼と別れ話をしていて、あまりのしんどさに嘔吐を繰り返すわたしに、引越し祝いだからと言って、わたしが寂しくないように大きなくまさんの抱き枕を買ってくれた。
母と別れた父も、ある日突然実家に来て、福沢諭吉を100枚持たせて「学費や」と言ってくれたりした。父とは定期的に会っていて、ショッピングモールあたりをぶらぶらしていると、シンディ靴がほしくないかカバンがほしくないか、店を見てみるかと言ってくる。でも、どうしてもほしいと言えなくて、余程困っていない限りは断ってしまった。
父はわたしが社会人になったときに通帳をくれた。母と別れてから、わたしの名義でお金を毎月(養育費とは別に)貯めてくれていたものだった。
母からも同じような通帳をもらった。「いつか車の免許でも取る時に」と。自分がかつて親からそうされて、本当に嬉しかったからと。
 
わたしが買ってもらえなかったお菓子代が、ここにある。あまり連れて行ってもらえなかった外食代が、ここにある。
しっかりしていて、大好きで、尊敬できる親だ。なのに、どうだ。こんなに有難くってたまらないのに、わたしの心の中にはまだポッカリ穴が空いている。
 
わたしが本当に頭の中で思い描きたかった光景は、親がわたし名義の銀行口座にお金を振り込むところではなく、プレゼントコーナーであれがいいかこれがいいかと唸っている姿だった。
一度、弟の元カノの誕生日プレゼントを買うのの付き添いをしたことがある。山ほど売ってるネックレスからひとつに絞り込む。わたしは自分に対して親がそうしてくれてる、その姿を思い描きたかった。これをあげたらシンディが喜ぶんじゃないかと考えてくれる過程が見えるものが、欲しかった。
でも、親がくれたのは、選ぶ過程が見えないところばっかり統一されているとても有難いプレゼントだった。それをずっともらってきた。わたしは全部自分で決めなさいと言われて育ってきて、実際に決めたがりだったから、それがいいと思っていたんだろう。
振袖の柄はわたしが自分で決めた。20歳のパールは、母の案ではなく、祖母が母にやったことを模倣したアイデアらしい。誕生日プレゼントもクリスマスプレゼントも、本当に小さな頃から自分で決めなさいと言われていて、トイザらスのカタログを熟読して決めていた。
サンタさんが親だということには、4歳のころから気付いていた。クリスマスには、何も知らない弟が決めたプレゼントの内容を聞いて、その予算から逸脱しないように考えて品定めをしていた気がする。
 
親のお金の使い方は上手だった。そして本当に感謝している。
なのになぜ、ものを買うとき悩んでくれているところを妄想したいというというところにわたしが重点を置いているのか、分からない。
わたしの欠陥のひとつだ。ぜいたくな自分が恥ずかしい。生きていて恥ずかしいよ。
 
友人に何かもらうと、嬉しすぎて意識が飛びそうになる。サプライズの数百円のプレゼントが、振袖並に嬉しかった。友人がくれるものはお金じゃない。友人が選んでくれたものだ。
大学の友達にもらったプレゼントの紙袋についていた飾りタグをわたしは3年間も捨てられなかったし、高校の後輩がくれたグラスを割ってしまった日、わたしは号泣した。
わたしがお土産とか突然のプレゼントとかバレンタインデーとかが好きな理由は、ここにある。浪費家を自覚するようになっても、人へのプレゼント代は惜しみたくなかった。
 
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家に帰るとアンディウォーホルのタブレット缶を箱買いしたものが届いていた。
 
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元からあったのとあわせて、カーテンレールに飾った。

 

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うん。かわいい。

 

味覚糖 のどタブレット缶アンディ・ウォーホル4 グレープ 13g×6個

味覚糖 のどタブレット缶アンディ・ウォーホル4 グレープ 13g×6個

 

 

 

12月11日。
 
扁桃腺は腫れているが熱は出ないまま。
擬似出社できなくなってしまったけど諦めて、
耳鼻科に行って抗生物質をもらってきた。
喉が痛いので、レディボーデンを箱食いした。
 
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寝ていたらすっかり回復。
こじらせる前に不調に気付けてよかった。
うん、よかったです。 
 
Cyndi.