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CindⅢ site

うつ病ADHDフリーライターのクズがクズに寄り添い生きづらい世の中をなんとか生き抜いていくためのブログ

「あなたの心は人を愛せるくらい回復しています」

うつ病 日常

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こんばんは。

昨日は精神科の通院日でした。

30分のカウンセリングと、10分くらいの診察。

幸い主治医もカウンセラーさんもすごくいい人で、わたしは通院日がいつも楽しみです(行くまでは面倒だけど)。

と言っても、まだ今担当してもらっているカウンセラーさんとのカウンセリングは2回目なんですけどね。

その2回目のカウンセリングで、すごく印象的なことをカウンセラーさんから言われました。

前回のたくさんの方々に読んでいただいた記事と合わせて、わたしの備忘録としてまとめておこうと思います。

cind-three.hatenablog.com 

人はストレスフルになると、行動が変わる

彼氏(もう元彼ですが、便宜上)は、別れ話をするときに、自分のことでいっぱいいっぱいだ、シンディにこんなキツい言葉の投げ方をしなきゃいけないくらいキツいんだと言っていました。

1ヶ月前とは豹変したように言葉のナイフを突き立てる彼に、わたしは混乱ばかりしていました。なぜこんなに態度が変わるの?わたしの何がいけなくて、いつ「つらい」ポイントが貯まっていったの?と。

だからそれを対面で整理・説明することを彼に求めていました。質問のしやすい対面なのが重要でした(別れ話くらい対面でしたいですし)。

それを聞いて、カウンセラーさんは言いました。

人間はストレス状態によって取る行動が全然変わる。

「豹変する」という表現だと彼の本性が出たような言い方になるけれど、違う。

彼は自分でいっぱいいっぱいだと言っている。彼の手の上に乗ったコップの中の水が、今はこぼれそうなくらいいっぱいで、他のことになんか目を向けられないんですよ。

彼は「今」余裕がないだけです。

そうか、と思いました。

彼は不器用で少し見栄っ張りな、いかにも男の子的な性格でした。

仕事の話はわたしにあまりせず、愚痴や弱音を吐きませんでした。

(わたしがいつも頼っていたから、しっかりしなきゃ!と気張っていたのかもしれません)

一時期楽しいと言っていた仕事も、いつの間にか楽しくないと言っていたり。

自分で精一杯になると、人の要求に応えられない

カウンセラーさんは、続けてこう言いました。

彼は今、他人の要求に応えることが非常に困難であることが考えられます。

あなたとお話をしたくない、会いたくない、というのは「今」「しばらく」です。

時間を空ければ、(気持ちはないにしても)対話をすることができるかもしれません。

でも、今は厳しい。

対面で会う約束をしている日も、彼が待ち合わせ場所に来るのを期待しない方がいいでしょう。

「ああ、きっとそうだろうな」と思いました。

自分がもやもやと考えていたことが、明確化されて、他者のお墨付きを得て、自分の中にストンと落ちてきました。

ぽろぽろ泣いてしまいました。

わたしは、きつい彼に対して「もともとこの日に会う約束なんだから会いたい」と追い込んでしまった。

わたしに会いたくないと言う彼に「会って別れ話をしてくれると言ったんだからして」と要求してしまった。

話したい内容を聞かれたので答えたら面倒臭いと言われて、ついムッときて「対面で話しをすることを承諾したんだからちゃんと守ってね」と半強制してしまった。

そして今、彼とは音信不通です。

もう別れたからといって、わたしも言い分があるからと言って、大好きな彼に更にストレスを与えてしまった。

ぽろぽろ流れていた涙は、ぼろぼろに変わっていきました。

彼と対面する約束の日に会えなかったとしても、絶対に彼を責めることだけはしないと心に決めました。

ちゃんと会えたら、たくさんお礼を言おうと思います。

 

人を愛せたということは、鬱が回復してきているという証

わたしは泣きながらカウンセラーさんに言いました。

  • わたしは彼をストレスフルにしてしまった。
  • 彼を幸せにしたかったのにできなかった。
  • 彼が付き合っていた期間を無駄だと思うんじゃないかと思うと辛い。
  • もっとああすればよかった、こうすればよかったという思いでいっぱいだ。
  • 本当に好きだったのに、取った行動が間違いだらけで、すごく後悔している。
  • わたしも余裕がなくて、彼を許せなかった部分があると思う。

こんなことを、多分支離滅裂だったでしょう、訴え続けました。

カウンセラーさんは、優しくこう言いました。

あなたが彼のことを本当に好きだったことがよく分かりました。

すごく主体的に彼のことを愛していましたね。

あなたの心は主体的に他人のことを愛せるところまで回復しています。

鬱がものすごく酷かった時期は、人のことなんか関心が持てなかったでしょう。

あなたの病状は、明らかに回復しています。

びっくりしました。

涙が止まるくらいのびっくりでした。

わたしは評価軸を数字で見ていた

わたしの悪い癖です。理系脳なのです。

わたしは、自分の回復や成長を、定量的にしか判断できないでいました。

  • 週に何時間働けた。
  • 何本原稿が書けた。
  • 何万円アルバイトで稼いだ。
  • 何回取引先の編集長に褒められた。
  • 何kg痩せた。
  • 何日連続外に出られた。
  • 今月は何日元気でいられた。
  • 何回連続ゴミの日を逃さなかった。
  • これくらいの量の家事ができた。

などなど。

それを表にしたり、カレンダーにシールを貼って喜んだりしていました。

もちろん、それも効果的です。続けます。

でも、わたしは今まで自分を本当に数字でしか見ていませんでした。

カウンセラーさんに指摘されなければ、「人を愛せるようになる」などというところで自分が回復していることを実感することができませんでした。

確かに思い返せば……

もともと人間好きなので人間不信とまではいかないけれど、今よりもっと鬱が酷かった時は、会社の人に対して疑心暗鬼になったり、お世話をしてくれる親に感謝しつつも「やめてくれ」「1人にしてくれ」と思ってしまったり、相談に乗るよと言ってくれた友達に形ばかりのありがとうを言ってスマホを放り投げたりしていました。

今はそんなこと、ありません。

カウンセラーさんとの初対面のときにも「今楽しいことは何?」と聞かれ、自然と「人と話すことです」と答えることもできていました。

これからの課題は、定性的に自分を見てあげること

カウンセリングはわたしが泣いてたせいで時間オーバーになってしまったので笑、ここからは、わたしが考えていることです。

自分の状態の回復・悪化を評価する軸を、定量的なもののみでなく、定性的なものとの2軸で持たなければいけないなぁと思っています。

今までは、定量的なもので見すぎていたのです。

そして、それで一喜一憂するのではなく、データとして客観的に見て、治療の材料にすること。

わたしはまだ自分の考えや感じたことに対して自信がありません。だから数字に頼るのです。誰が見ても同じな時間や実績。

それだけではなくて、わたしの心はこんなに豊かになった。これが楽しくなった。これを素晴らしい、美しい、楽しいとまた思えるようになった。繊細な感情が取り戻せてきた。

そんな観点で、自分を見られたらいいなと思っています。

帰りのお花屋さんで、主体的な選択をできた

帰宅してから気付いたのですが……

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病院からの帰り道に初めて見る花屋さんがあったので、中を覗いて自分用にガーベラを1本買いました。

花言葉は知りませんが、複数の色がある中から、生命力を感じて「これがいい」と赤色を選びました。

わたしの家の薄ピンクの一輪挿し用花瓶には正直あまり似合っていませんが、赤い花はとても素敵です。

ふと気付きました。

何か特別に「これがいい」という意志をもって、花の色を選んだのはものすごく久しぶりだ。

1ヶ月に1本くらい切り花、特に安価なガーベラを買うのですが、なんとなく「この前ピンクだったから黄色」「いつもの店にないけどこの店にあったから白」という消去法に近いやり方でしか考えてなかったような気がします。

わたしは、物事に前より関心を持って、自分の考えをもって、主体的な選択をできた。

こういう少しのことでも自分の回復を感じていきたいと思います。

 

最後に。

前回の記事も併せて、はてなブログ読者の皆様、ツイッターから来てくれた皆様、検索やはてブやら何やらでたどり着いてきてくれた皆様、本当にありがとうございます。

これからも暖かく見守ってくださると嬉しいです。

明日以降からはまた「これうめーーーwww」「競馬うひょーーー!!!」みたいなことも普通に書くと思います。笑

それも含めて、わたしだと思ってくれれば幸いです。

 

読んでくださって、ありがとうございました。

 

Cyndi.