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CindⅢ site

うつ病ADHDフリーライターのクズがクズに寄り添い生きづらい世の中をなんとか生き抜いていくためのブログ

個人的には儚いものが美しい

オピニオンもどき 日常

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酔っ払いさんと終わりのない話をするのが好きよ。


芸術ってなんだ

久しぶりに演劇だとか、
芸術だとかについて人とお話をした。


音楽をやっていた彼は、
その時に考えていたことが
性格や基盤になって(順序は逆かも)
なんと仕事で出世までしている。

自分では向いていないというけれど、
わたしはそんなことないなと思った。
素晴らしいことだ。


いろいろと話して、
わたしはあまり同意はできなかったけど
理解はすごくできたし、
誤解されるのを承知で、
「それが正しいんだと思う」と言った。
本音だ。

じゃなければ誤解されるようなこと、
言わん。


芝居ってなんだ

わたしが10年やってきた芝居というものは、
わたしがやりたがってきた芝居というものは、
一切、人を巻き込むべきものではなかったのかもしれん。


寂しかっただけなんです。
寂しがりやなだけなんです。


自分の名前で表現ができなかった。
あるいは、周囲が期待する自分の役を
自分で書くしかなかった。
(期待って言葉に違和感ある。でも他の単語が見つからん)

わたしはシンディだった


シンディのセリフは、シンディの言うことだ。
わたしが言いたくて言ってるんじゃない。
わたしがシンディだから言ってるんだ。
だから無責任でいい。

舞台の運営にはすごく責任感を持ってる。いつもいつもね。

でも、シンディのことばや動きには、
人を傷つけない限りは、わたしはそんなに
注意を向ける必要がなかった。


何年も何年も前は、何も考えてなくて
マジョリティの考えや、
役者さんのいうことに呑まれて

お客さんのためだとか。
役になりきるだとか。
自己表現だとか。

そういうことに、同意していた。
なんとなく。

わたしは全くそうじゃないと
はっきり確信したのは、
もう成人手前の時期だった。

巻き込むってなんだ

彼に、
自分と価値観が合わないとかダセェよ、
巻き込む人間になればよかったのに
的なことを言われた。

めちゃくちゃ分かる。

でもわたしは疲れていたし、
巻き込む人間になるということ自体が
相手に合わせているようで嫌だった。

だから自分でいたけれど、
みんなはわたしになってくれなかった。

仕方なかったんです。



わたしは役になりきらない

周りに恵まれていたから遅くまで気づかなかったが、
シンディやその他わたしのやってきた役は
自ら選んだものだったり、
わたし本人を見て設計してくれた役だったり
何も考えなくっていい役だったのだ。

ごくたまにそうじゃない役もやった。
そんな役にはなりきれなかった。

言われてみれば、
わたしはそもそも小さい頃に
セーラームーンなりきりもしなければ
おままごとすらしたことがなかった。

演劇を通して色んな人になれる、
なんていう素晴らしい言葉は、
少なくともわたしには通用しない。


いい舞台ってなんだ

お客さんのためなんてもんは、
もう、本当に言語道断だ。
今となっちゃ1番嫌な方針だ。

高校時代の、ほんとうに初めの初めから
高校演劇らしからぬものばかりやっていて
自己満足だ自己満足だと言われてきた私たちは、
いつの間にか自己満足に自信を持っていた。

自己満足すらできずにどうするんだと。

そこはきっと共通していたけれど、
みんな、他の場所で演劇を経験していたり
ものすごく優しい性格だったり
観劇が好きで、それに感銘を受けていたり
そういう事情があってかなくてか、
お客さんのためにも、すごく頑張っていた。

自己満足できるものを作るのはいいが
お客さんを置いてけぼりにするものは
いかがなものか?という話で
何回か議論チックになったこともある。

わたしはそういう場が苦手だし、
火に油を注ぐ価値観を持っていると
徐々に自覚してきていたから、
だいたい何も言わなかった。

置いていきたい

わたしはお客さんを置いていきたい。
置いてけぼりにしてしまいたい。
追いついてこれる人が追いついてくればいいし、
追いつけなかった人は反省してほしい。

結局、自己表現などという豪華なものではないが
わたしがやりたいことは虚構の本当の自分を見せることで、
それを役とか芝居に落とすことで言い訳して
自分についてきてくれる人を作りたかった、
ということなのかもしれない。

お金はいらない

迎合なんかこれっぽっちもしたくなかった。
だからわたしは絶対にチケット制はとらなかったし、
(つーかカンパ箱置くだけの方が儲かる)
わたしのことを好きでいてくれる人だけを
周りに配置してきた。

それでも周りはどうしても
交通費と手間賃ぶんくらいは、という。

もちろん、その気持ちは分かる。
でもそんなもん来た自己責任だろって思ってた。

ほめてもらえた

なんだかんだ、人は褒めてくれた。
演劇やってりゃ褒めてくれた。
そりゃそうだ、やりたい役とか
得意な役しかしてないもの。

で、自分らも楽しかったから、
けっこうな批判も気にせずに
(そう、こんなにネガティブなわたしが!)
やってこれた。

破壊衝動

第2回公演が成功したとき、
わたしは後輩にまたやりたいと言われて
泣きそうなくらい嬉しかったけど、
同時にこの劇団を潰したくてたまらなかった。

それが関係しているのかしていないのか、
夏にもわたしの怪我がほぼ直接の原因で
わたしの劇団が関係する舞台が中止になった。


お客さんが喜べばそれは勿論嬉しかった。
でもそれはお客さんが喜んだからじゃない。
わたし(たち)が褒められたからだ。

芝居やってる人なんて全員ナルシストで
全員そんなもんだろ?と思うかもしれない。

けど、わたしはその比率が高すぎた。



別に芝居好きじゃなかったかも。

あの達成感とスポットライトは
他じゃ味わえない興奮だったけれど、
それは副賞だった。

副賞のほうが豪華にみえること、
あるでしょ?


今はツイッターのプロフィールですら
劇団の具体的な名前は出していない。



かわる

そして、こんなに考えたけど
明日にはきっとわたしの考えは
変わる。



定義した

彼は焼酎片手に芸術を定義した。
きっとずっと音楽を通して感じてきて、
考えてきたことなのだろう。

そこが音楽をやめた今もぶれないなんて
なんてすごいことなんだと思った。

考えこめばまぁ納得できるような
そんな感じだった。

きっと彼の考え方、向き合い方、音楽、
ライブのしかた、思い返しのしかた
そこに何かを感じた人たちが
彼らの支持者になったのだろう。

なのに、やめちゃってね。


ハイロウズ

仕事で海外出張に行って、
なんだか打ち解けてない気がしたら
ギターを借りて、歌うらしい。
しゃららーらって。笑

めちゃくちゃ盛り上がるらしいです。
いやぁ音楽って素晴らしいね。


たはは


ああもう朝だね。
また朝だね。



芸術って、なんだ

ひとつだけ、芸術みたいなもんに対して
わたしの中でぶれない考えがある。

それがタイトルに書いたこと。

芸術ではなく、美しさの十分条件ですが。
わたしにとってのね。




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しかし昨日は眠かったっす。


今日はカウンセリングと通院日だ。



Cyndi.